2013年11月5日

君は今駒形あたりほととぎす



三社祭の花魁の列

今回は、自分の住んでいる地名の由来にあたる話など調べてみました。
 まず、台東区にある浅草駒形の地名は、「コマガタ」ではなく「コマカタ」のようです。昔、江戸っ子は「コマカタ」と濁らず発音したといいます。表題にあるなぜ駒形とほととぎすが関係があるのかということを更に深く調べていくと、それには一つの物語が秘められていました。


   

カメラを忘れてしまったので携帯で撮影。
それを知ることになったのは、駒形から少し離れた東浅草にある春慶院というお寺にあります。
春慶院は、台東区東浅草2-14-1にある浄土宗のお寺で、国際通りを千住方面に直進して、地方通りと交差する手前に金太楼という寿司屋があり、左に曲がると春慶院が見えてきます。
ここに二代目高尾太夫という花魁(おいらん)のお墓があります。




 

高尾太夫は、新吉原の妓楼三浦屋の花魁が代々名乗った吉原の代表的名妓の太夫名で、この名を名乗った遊女は歴代11人いたと言われていました。その二代目のお墓がこの春慶院にあり、通称「仙台高尾」といいます。高尾太夫というのは、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女につけられたものでありました。
三浦屋 台東区千束四丁目 吉原京町一丁目の妓楼。三浦屋四郎左衛門。
宝暦6(1756)年頃廃業するまで、吉原第一の妓楼で、大三浦と呼ばれ、四郎左衛門は吉原惣名主をつとめていた。 三浦屋を廃業した理由については、四郎左衛門は武芸を好み、自宅に道場まで設けて指南するほどの腕前だったとかで、それによって娼家の賤しさを恥じて廓(くるわ)を去ったのではなかろうかという話が一説にあるそうです。

 二代目高尾が「仙台高尾」と通称されたのは、仙台藩三代目藩主 伊達綱宗に愛され、落籍されそうになった時、「廓の女は金ではござんせぬ」との名台詞を投げつけたからだといわれます。

 
台東区の説明板には「忘れねばこそ、おもい出さず候」との句があります。
(あなたのことを思い出すことはありません。それはいつもあなたのことを思っているために忘れないからです。)



さすがに62万石の大名が吉原の花魁を身請けするにはいかずに、泣く泣く二人は離れなければならなかった。そういう背景から高尾の俳句は、綱宗との別れの日に詠んだと想像することができます。

「ゆうべは波の上の御帰らせ、いかが候。ー(中略) 君はいま 駒形あたり ほととぎす」

 
 巷説よればこれも一説によるもので、落語にもある有名な結末では、綱宗は高尾を欲しさに三浦屋に身の丈ほどの高さの小判を積み、なくなく高尾は身請けされていくことになるのですが、実は高尾にはすでに島田重三郎という意中の人が居たため、それを知った綱宗の怒りを買い、帰りの船上で吊るし斬りにされ隅田川に捨てられた。というのがもっとも有名な説のようです。
それによって上の句を誰に宛てて詠んだのかは、意味が変わってきます。



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最後に台東区の説明板にはこうありました。
この墓は仙台藩の内命を受けて建てられたとの言い伝えがある。

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